3年。

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今日9月6日、何の日だかわかりますか?

道民の方なら大体覚えてるかな?

今から3年前の2018年9月6日未明

最大震度7を観測した、胆振東部地震

あった日なのです。

 

その前日の9月5日、僕は

旭川の試合に出てたんですよね。ナイター終了後、時間は遅かったんだけど

僕らはその足で札幌に戻ったんです。

球団事務所に戻ったのが深夜0時半。

その後1人で何だかんだ雑務を片付けてたんで

事務所を出たのが2時半頃でした

地震が起きたのが明方3時過ぎだったから

まだ僕は起きてたんですよね。

大きな揺れに恐怖を感じました。

で、少し置いて停電が始まって。

僕の周辺ではその日の夕方くらいには

電気は復旧したんだけど、

長い所では数日間ブラックアウトが続いて、

電気のない生活ってこんなに不便なのか…

と痛感しましたね。

 

地震の後、キャラバンも中止になったりして

数日間稼働がストップしたんだけど、

次の現場はちょうど1週間後。

札幌市内で住宅被害の大きかった

清田区の小学校への慰問でした。「4プロ」の選手やマスコット達と一緒に。その後、札幌ドームの試合では

コンコースで募金活動もしたっけ。 更にその翌週には、被害が大きかった

安平・むかわ・日高の3町の

小学校や幼稚園・保育所を

集中的に訪問したりしました。 ちなみに一番被害が大きかった厚真町は、

被害が大きすぎて訪問どころの

状況じゃなかったんです…

 

日高町では、被災した球場も

見させていただきました。高台にある球場。

地震で地割れが発生して、

地滑りで下の民家に被害が及ぶ危険性が

あったんですよね。

 

あれから3年。

厚真とかむかわの辺りって、

浦河に向かう時いつも通るんだけど、

高速道路の路面がまだ波打ったりしてて

地震の爪痕が今でも垣間見えます。

だいぶ復興が進んだ場所もあるとは聞くけど、

厚真町で被害の大きかった地区など、

住民が激減して集落存続の危機の

場所もあると聞きました。

「3・11」の時にも書いたように、

モノはある程度の時間で修復できても、

「心の復興」って簡単じゃない

失うのは一瞬でも、それを取り戻すのって

スゴく大変なんですよね…。

 

今回、地震直後の出来事の写真を

何枚か紹介したけど、

記憶を風化させちゃいけない、

ってのと同時に、

その頃の写真を見返してたら

被災直後の大変な時期なのに

僕らとふれ合ってる子ども達が

みんなイイ笑顔をしてて…

僕らって、こういう笑顔を引き出せる

力を持ってたんだな、

って改めて感じたんですよね

そして一方、大勢で集まったり

思い切りハグしたりできていた

当時のことを思い返して、

わずか3年で時代が

随分変わってしまったな、と

身の周りで多くの「分断」が起きている今。

ホントは僕らが絆を繋ぐ役割を

果たしてかなきゃいけない。

これから先、果たしてそれが

できるんだろうか…?

そんなことを考える1日なのでした。