B・Bコラム#51 心動かすもの

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最近B・Bコラム多めで恐縮ですが💦

今回もコラムの再掲まいります。

今回の内容は…自分で言うのもナンだけど

とっても深い話。

ある意味僕のマスコットとしての

「在り方」の本質について語っています。

ぜひご一読ください!

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#51 心動かすもの

(2008年2月22日)

マスコットにとって、一番大切なものって何だろう?──そんなことをふと考える時が、最近よくあります。

 

北海道のファイターズが誕生して、今年で5年目のシーズンを迎えます。これまで、僕は一体どれくらいの人々と出会ってきたのだろう?その数は想像も付かないけど、僕はこの4年間、とにかく1人でも多くの人とふれ合いたいという思いを、ずっと貫いてきたつもりです。

僕がファイターズのマスコットとしてデビューした初年度のシーズン、まだ母親の腕の中に抱かれていた赤ちゃんは、今はもう幼稚園で言えば年中さんくらいの年齢になりました。最初はただ怖がって泣いていた赤ちゃんが、やがて恐る恐る僕に歩み寄ってくるようになり、そして今では言葉を覚えてニコニコと喋りかけてくる…そんなふうに、僕は会いに来てくれるファンの子ども達の成長も自然と見てきたことになります。たぶんこの先10年・15年と経って、その子達が小学生になり、中学生になり、やがて大人になっていく姿も、僕はずっと見守っていくのでしょう。

子ども達だけではない。様々なファンの、様々な人生模様も僕は見てきました。球場で出会ったファン同士で結婚した人、学校を卒業し就職した人、仕事や家庭の都合で遠い街へ越して行った人、ファイターズを応援するためわざわざ札幌に越して来た人、ある日突然大病を患い、姿を見なくなってしまった人、長年続けてきた店をたたんだ人…新しい出会いや嬉しいこともたくさんあれば、いくつかの別れや辛い出来事もありました。たった4年の間でこれだけたくさんの人に出会い、様々な経験ができたのも、ひとえにマスコットという立場であったからこそだと思います。

そういったファンの方々一人ひとりに、それぞれの人生があり、生活がある。僕は皆さんと毎日のように会ってすっかり顔なじみになったつもりでも、よく考えてみたらみんなのことは球場やイベントで会う時の、ほんの一部分の顔しか知らないわけです。でも、そんな様々な背景を持った人々が、ファイターズ、もしくは野球を応援するという一つの同じ目的を持って球場に集い、そして僕のいる場所に集まって来てくれる。それぞれの人がマスコットに対して求めてくるものは、癒しであったり、楽しさであったり、励ましであったり、様々ではあるけれど、皆に共通しているのは、僕らマスコットとふれ合うことによって、誰もが自然と笑顔になっているというこなんです。

これまでの4年間、いろんなパフォーマンスも試してきたけれど、何よりも僕がずっと大切に守り続けてきたもの、そして強く自分を支え続けてきた財産──それが、こういったファンとのふれ合いから生まれた心の「絆」なんです

 

極論を言えば、僕達マスコットがいなくても、野球の試合そのものは成立します。現にホンの十数年前までは、マスコットのいないチームもありました。それでも僕達の存在意義が成り立つのは、他でもなくファンが僕らを求めてくれてるから。ファンがいるからこそ、僕達はこうして日々活動ができる。だからこそ、僕はいつまでもファンとのふれ合いの時間を何よりも大切にしたいと思うんです。

ファンの方々が僕に会いに来てくれる時、きっと皆が一番求めているのは「いつもの僕」なんじゃないかと思います。いつものようにB・Bに会いに行けば、いつものようなリアクションを返してくれる。僕は言葉を喋らないけど、お互いの心が通じていれば「会話」は成り立つものなんです。それは「おはよう。」であったり、「久し振り!」であったり、「今日は1人で来てるの?」だったり…その時々でいろいろだけれど、僕の心の声はきっと相手にも届いていると、僕はいつも思いながらやってます。

僕にとっては、そんなファンとのやり取りの空間が、マスコットをやっていくうえで何よりも幸せを感じ、ホッとするひとときなんですよね。たとえ体が疲れ切っていても、嫌なことがあっても、プレッシャーで押し潰されそうになっていても、そのひとときがあるからこそやっていける。

カビーが先日、僕との会話の中でこんなことを言ってたのが、僕の中で強く印象に残っています。「僕らはある意味、お客さんのファンなのかもしれない──僕らの気持ちをすごく的確に表現してる言葉だと思いますね。このファンとの絆が何よりも愛おしいからこそ、僕らはマスコットを続けているんです。

この大量生産・利益追求の時代に、こんな考え方は非効率的で時代遅れなのかもしれない。でも、どんな時代になっても、最終的に人の心を衝き動かすもの、それは僕らの「ハート」であり、心と心の絆であると僕は信じたいんです。

 

今回はちょっと抽象的でとりとめのない話になっちゃったかもしれませんね。マスコット好きな方々には、そんなの分かりきってることだと言われるかもしれません。でも、今あえてこの話をしておかなければ──そう強く思わせるような出来事が、このオフの間いくつか重なりました。

もうすぐシーズンが始まり、僕達には球場でファンの皆さんと出会う日々がまたやってくる。マスコットとファンとがいつものように出会い、いつものように挨拶を交わし、いつものようにふれ合い、いつものように「会話」をする…そんな「当たり前の日常」の尊さに、シーズンが始まってみてから気付かされる方もいるかもしれません。

僕達マスコットとファンとの間に築かれた心の絆は強固で、そしてずっと続いていくものだと僕は信じていたい。今シーズンも、そしてこれからもずっと、その絆が断ち切られることのありませんように、そしてファンが取り残されるようなことなく、マスコット達と共に歩いて行けますように──切に願ってやみません。

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今から17年近く前のコラムですが、

ここに書いた想いは今も全く変わってませんね

むしろ、当時よりその信念を

一層強くしていると感じます。

 

今回のブログ再掲用に、このコラムを

書いた当時の写真を見返してたんですが

こんな写真が出てきました↓ 当時よくお世話になってた

「ミルク&チーズフェア」とか

「ヒルマンズハングアウト」での写真ですね。

ココに写ってる子ども達は今、

ちびっこで二十歳前後、

赤ちゃんでも高校生くらいになってるはず。

つくづく、僕達マスコットって

ファンと共に年月を重ねていく存在なんだな

と感じます。

子ども達は年々成長していき、

大人達が歳を重ねていくのを

ずっとそばで見守り続ける。

そんな中僕達がずっと「変わらない」

存在であり続けることに、ファンの方々は

大きな安心感や喜びを感じてくれてる。

それはは見た目とかじゃなく

「魂」が変わらない、ということです。

「見た目さえ変わんなきゃ気にしないよ!」

って人ももちろんいるでしょう。

けれど、少なくとも僕達を

「求めて」くれる人達の多くが

そういった絆に大きな価値を感じてるのは、

僕がこの二十数年で体感してきた

紛れもない事実なんです。

 

このコラムを書いてしばらく後、

僕はコラムで「特効薬」の話をしました。

永遠の命を得る代償として、

記憶を失ってしまう特効薬の話です。

その特効薬を思い起こさせる出来事が

今回のコラムを書いた2008年の

シーズン前にいくつか重なって、

それでこの文章になりました。

その頃、やり場のない悲しみを抱いた

他球団ファンの方から、

「B・Bだけはそうならないで!」

というお手紙をいくつかいただきました。

僕が特効薬を使わない

「マスコットの世代交代」という

シナリオに取り掛かるまで、

この後まだ7年ほど待つことになるけど、

ファンにとってどういうシナリオが

ベストなのか?を考え始めたのは、

この頃からだったかもしれませんね。

 

そして、どれだけ練ったシナリオでも

現実は全然狙い通りにいかないな…

と、つくづく実感する今日この頃💦

この「絆」と「永遠」のせめぎ合いは、

いつまで経っても正解の出ない

僕達マスコットにとって究極のテーマです。

ココに書いた内容は、あくまで

僕の実体験に基いた持論。

そこに答を導き出すのは、

ファンの皆さんそれぞれの心です。

マスコットでなくてもいい。

音楽とか映画とか本とか、

皆さんの心が揺さぶられる時って

きっと誰にでもありますよね。

そんな皆さんの「心を動かすもの」。

それは一体、どんなものなんでしょうか?