アイヌ文化との出会い・前編。

カテゴリ/浦河町

今回の浦河行きの中で、競走馬の調教と共に

とっても印象に残った取材がありました。

ということで、また2回くらいに分けて

そのお話をしていきたいと思います

 

今回、僕がお邪魔したのはこちら。堺町生活館。

中に入るとこんな展示の数々が…。 そして中で僕を待っててくださったのは、

こちらのお二人。浦河アイヌ文化保存会

堀悦子さんと八重樫志仁(ゆきひと)さん。

もう大体お分かりだと思いますが、

今回はアイヌ文化について

お話を聞きにやって来たのです

 

北海道には、明治期に開拓者が入る以前から

アイヌの方々が多く住んでたのは

大体の方ご存知だと思いますが、

今でも道南の胆振・日高地方には

アイヌの血を引く方々の住んでいる比率が

最も多いと言われています。

中でも有名なのは平取町(びらとりちょう)

二風谷(にぶたに)と呼ばれる地区で、

人口の過半数がアイヌだそうですが、

浦河町も和人との混血はあるものの、

人口比率で言えばアイヌ系の方々が

1割以上いるかもしれないとのこと。

北海道をホームとするマスコットとして、

僕はずっと、アイヌの人々や文化について

もっと詳しく知りたいと考えていました。

そしていきなり話は飛びますが

以前、僕の木彫りの椅子を彫ってくれた

「らかん洞」堀敏一さん

覚えてらっしゃいますか?

話を聞いてくと、なんと堀さんの奥様が

実はアイヌの方で、浦河アイヌ文化保存会

副会長をされている、と

何と言う偶然!

これはぜひとも話を聞きたい!

…ということでお願いしたところ、

今回の取材が実現したワケなのです

 

それでは早速お話を伺います

ちなみにこの「堺町生活館」ですが…

僕全然知らなかったんですが、

道内で「~生活館」と名の付く施設は

アイヌの方が住んでいる地域で

アイヌの生活環境向上のための

拠点施設として作られた施設なのだそうです。

昭和40年代後半から、北海道が国の支援の下

「北海道ウタリ福祉対策」を行ってきた中で

作られてきたそうですが、

浦河町内には生活館が各集落にあり、

合計12ヵ所ほどあるそうですよ。

 

聞きたいことホントたくさんあるんだけど…

まずは、堀さん・八重樫さんお二人の

これまでたどって来た歴史から

お話を聞かせていただきたいと思います。

 

お二人とも元々浦河のご出身ですが

背景には若干違いがあって、

八重樫さんの母親は平取、そして

父親は様似のアイヌの血筋。

そして堀さんは、母親はアイヌですが

父親はアイヌに育てられた和人の子。

そんなこともあるんだ?…と思ったけど、

これは決して珍しいケースではなく、

昔、和人(わじん)と呼ばれる内地の日本人は

開拓のため北海道に入ったものの、

北海道の寒さや厳しい生活の中で

子どもを育てる余裕がなくなると、

子どもを捨てたりアイヌの住む家の前に

置いていったりすることが

結構あったらしいのです。

一方、アイヌは子どもを大切にする人々なので、

そういった子を引き取って大事に育てることが

珍しくなかったんだとか。ちょっと重い話になりますが、

アイヌの歴史を語る上で

ぜひ知っておいてほしい内容なので

続けますね。

 

開拓者が北海道の生活に慣れるまでは

アイヌがそうして和人の子を

育てたりする例があった一方、

和人は自分達がある程度裕福になってくると、

アイヌへの差別をするようになったそうです。

最近、某情報番組の中で

アイヌへの差別的表現が

問題になったことがありましたよね?

あの時問題になった表現は実際に、

アイヌの方々が多く浴びせられた言葉で

決して大げさなことではないのです

アイヌへの差別は地域や年代によっても

状況が複雑に変わるので

差別の度合は一律ではないみたいですね。

たとえばお二人が育った頃は、

学区によって差別に違いがありました。

堀さんのお母さんはひどいいじめを受け、

小3までしか学校に通えなかったそうです。

堀さんご自身の年代は母親の時代ほど

差別はひどくなかったものの、

やはり差別やいじめはあって、

道の下に隠れた子ども達に

通りすがりに石を投げられたり

したことなどはあったんだとか。

一方、八重樫さんはアイヌの少ない地区に

住んでいたこともあって、

小学の頃はそうした経験はなかったけれど、

中学に入ってから差別を受けたそうです。

中にはアイヌ同士での差別もあったり、

自分がアイヌだと知らされていない子どもが

他のアイヌに対して差別するような

例もあるそうですね。

話しづらいことも多々あると思いますが、

真摯にお話を聞かせてくださるお二人。

本当にありがとうございます

次に、アイヌの文化は今の時代

どのような状況なんでしょうか?

お二人にお聞きしました。

 

北海道内にはアイヌ語起源の地名が

たくさん残ってますよね。

では、お二人は結構アイヌ語を

話せたりするんでしょうか?

お聞きしたところ、お二人はアイヌ語は

ほとんど話せず、単語をいくつか

知っている程度なんだそうです。

しかしお二人の祖父・祖母の代には

アイヌ同士ではまだアイヌ語だけで

会話してたりしていたそうで、

堀さんのおばあちゃんは

アイヌ女性独特の、口の周りの入れ墨も

入れていたそうですよ。

今から60年くらい前までは、

アイヌ語しか喋らなかったり

そういったアイヌ独特の文化を色濃く残した

お年寄りがまだいらっしゃったようですね。

堀さん・八重樫さんお二人の名前は和名だけど、

ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんの代

くらいになると、お名前はアイヌ名。

それが一つ世代が下がって、

おじいちゃん・おばあちゃんの代になると、

アイヌ名・和名の両方を持ってる形に。

そしてお母さんの代になると、

日本の同化政策が進み、

アイヌ文化が否定される時代に…。

堀さんのお母様は3年前に

90歳で亡くなったそうなので、

生まれたのは昭和初期になりますが、

その頃になると、アイヌ語やアイヌの儀式、

口の周りの入れ墨などは禁止、

伝統的なサケ漁の儀式も禁止。

日本語を覚え、農業をしていくよう

強制されていったそうなのです。

おばあさんたちも、自分の子ども、

つまり堀さんの親の世代には

「お前達はもうアイヌ語を覚える必要がない」

というスタンスでいたそうですね。

そうして親の世代になると、

アイヌ的な要素を隠そうとする風潮に

なっていったようですが、

それでもアイヌ同士が集まって

様々な儀式は続けていたようなのです。堀さんのおばあさんが亡くなったのが

今から53年ほど前。

つまり1970年前後ということになりますが、

その頃はまだ日本語もアイヌ語もペラペラで、

アイヌ同士集まるとアイヌ語で喋ってた人は

残っていたそうです

今はもう、アイヌ語をペラペラ喋れる人は

ほどんど残っていないようですね。

アイヌ語は文字を持たない文化なので、

言葉を残していくためには口承、

つまり口伝えで伝えていく必要がありますが、

今は和人の研究者の方がかえって

アイヌ語を喋れる状況なんだそうです。

それでも昔の人のように、

小さい頃から身に付いた流暢さはないそうで、

「勉強した喋り方」という感じらしいですね。

また、アイヌ語にはかなり方言の違いがあって

研究が進んでるのは平取や千歳方面のアイヌ語。

浦河の方言はまたかなり違うらしく、

そこに研究者が入っていないので、

そういう理由でも浦河のアイヌ語は

どんどん失われてきてるそうなんです。

消滅させたくはないが、

後継者がなかなか現れてくれないので

その流れを止めるのが難しい。

若い世代でアイヌ文化保存会に

加わってくれる人がなかなかいないのが

現状のようです

 

なんか重い話が続いちゃったかもですが、

僕にとっては初めて知る興味深い内容で、

皆さんも同じように興味を持って

読んでもらえると嬉しいです

長くなるので残りは次回お話ししますが、

次回はアイヌのカッコいい工芸品とかについても

紹介していきたいと思いますよ!

コメント

4 件のコメント

  • 子熊 より:

    BBこんばんは!

    北海道の歴史はたくさんのアイヌ語由来の地名や文化を共に歩んできて、そこにはたくさんの差別があったことは残念ながら事実なんだよね。

    アイヌ文化を絶やさないように、お二人のような語り部の方からの話を、これからの時代を背負っていく若い人に伝えていきたいです

  • ぐりくま より:

    こんばんは

    貴重なインタビュー記事でした…

    改めて、開拓前後の時代を繙くと想像以上に過酷な現実があり、今も複雑な問題として続いていることに目を背けてはいけないなと思いました。
    某漫画の大ヒットにより最近では多くの本が出版されるなど、より身近に触れることが出来るようになったものの、調べていくうちに未だに根強い偏見があるということも知りました…

    こういったことを減らしていくためにはどうすればいいのか
    でも北海道民でもない、部外者ともいえる私に何ができるのか…と思います。

    この記事は、多くの人に届くといいですね。

    言葉についてですが

    (確か)道立博物館で昔話(神謡)を聞けるスペースがあり聞いたことがありますが、あの膨大な物語たちを口承で行っていたことに驚かされました…その後テキスト化されたものを目にしたことがあり、その量に改めて驚いたものです。方言も独特で辞典を読むと文末に様々な地名が載っていて興味深いです。

    例えば、キツネやクマでもたくさん出てくるのでそこで文化を知ることもできます。
    (言語については文化財団のHPに詳しく載っているので興味深いコンテンツがたくさんあります)
    少し曖昧な記憶で申し訳ありませんが、研究者でもアイヌ語を取り扱う方は減少傾向にあるとどこかで読んだことがあります…

    コメント長々とすいません
    次の記事も楽しみにしています!
    しかしB★Bは民族衣装が似合うこと似合うこと!

  • しの より:

    アイヌの民芸品は幼少の頃から親しんできました。
    両親が北海道でしたので友人にアイヌの方がいたというのはよく聞きました。
    差別を受けていたことも。
    堀さんご夫妻との縁、素敵ですね😃
    後半、楽しみにしています。

  • くま牧場長 より:

    おはよ、ひぐま。さっきまでB様が夢に出てきた。B様と昆虫採集する夢だった。
    今回はかなりヘビーな内容だね。大学いた頃図書館でシャクシャインの本読んだことあるけど地域ごとではアイヌ同士の対立があったみたいだね。松前藩寄りのグループもいたり。探検家の松浦武四郎の紀行には江戸末期には男は強制労働で女は和人に差し出されたりけっこうエグいことあったらしい。情報番組の表現については見てなくて知らない。石投げられたとか小3で学校行けなくなったとか残酷な話だね。今もいじめをなくそうとか言うけどネット炎上とかが頻発する世の中じゃいじめ撲滅は絵に描いた餅だと思う。あれなんでわざわざ攻撃に参加しようとするんやろ。不思議やわ。

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